やるせない気分になるとついつい種田山頭火の句集に手が伸びてしまいます

本のこと
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1年に1~2回やって来るこんな気分

クリスマスまであと10日。
街はキラキラ輝いているというのに・・・
世間様はクリスマス商戦やらボーナス商戦やらで盛り上がっているというのに・・・
私の気分は只今ダダ下がりもいいところでございます。

なぜか?
そこは本当にすみませんけれど今回は自主規制。

自分の恥ずかしい有様をあれこれ書き綴っているブログとはいえ書いていいことと書けないことの境目はきっちりしないといけません。

で、肝心なところは明かせないながら、そしてブログを読んでくださっている皆さまには全くもって興味も関心もない事柄ながら、とにもかくにもここ数日ため息の大量製造機と化している私であります。

この気分を的確に表せる日本語はないものか?

悲しいといえば悲しいような
悔しいといえば悔しいような
その他にも不甲斐ないとか意気地がないとか心弱いとか・・・。

どの言葉も微妙にかすっているけれどなんとなく違う気もする。

あっそうだ。
やるせない、だ。
やるせない、こそが今の気分そのものです。

やるせないとは①心中の思いを晴らす場・方法・対象がない。②施すべき手段・方法がない。どうしようもない。の意味 漢字では「遣瀬無」 
引用:コトバンク

とはいえなにも手段を講じないままでいいわけではないのであれこれと考えてはみるものの・・・状態に陥っております。

こういう時に必要なのは気分転換だ。
けれどいつもなら面白いドラマや大好きな音楽を見聞きしても心ここにあらずになっちゃって結局のところ呆然としたまま時間だけが過ぎていたりするのですよ。

読書についても同じで活字を目で追うものの言葉がまったく入ってこないという・・・。

しかしながらこのような時こそ?手にしてしまうのが種田山頭火の句集です、私の場合。

種田山頭火という人

種田山頭火は1882年(明治15年)に山口県の大地主の家に生まれました。
しかしながら彼が10歳の時に庭先の井戸に母親が飛び込んで自殺してしまいます。(しかもこの時山頭火は部屋の中でその飛び込んだ音を聞いている)

山頭火自身が後の随筆の中で「私一家の不幸は母の自殺から始まる」と書いたように後に一家は破産し離散。

その後も弟の自殺や関東大震災時に憲兵による拉致・拷問を受けるなど平穏とは言い難い日々の連続で生活苦から自殺未遂も起こしました。

そうした経緯もあり1925年(大正14年)ついに山頭火は熊本市内の寺で出家します。
1年ほど堂守を務めたものの1926年(大正15年)にはそこを飛び出し「行乞放浪」の旅へと出ました。(*行乞とは食べ物を恵んでもらうこと)

旅の途中の各地で句を詠み句会を開き句集を出し、と聞くとどこか優雅にも感じてしまいますが寝るところもなく食べるものも持たない乞食旅であり生きるよすががが俳句だったのです。

そうして山頭火の旅は1940年(昭和15年)58歳の時に人生を終えるまで続きました。

自由を求めて放浪の旅に出る、という言葉があるけれど山頭火の旅には無常感というのか死に場所探しというのかそれこそやるせない感じが終生ありました。

種田山頭火の俳句

小学校の頃に習った程度の知識しかないのですが俳句とは季語を入れた五七五から成る短い詩のことですよね。

だがしかしそういう意味では山頭火の俳句はあまりにも自由です。
自由律、とも呼ばれています。

大変失礼を承知でいうと誰でも思いつきそうな詠めそうな俳句です。
でも本当のところは「~そう」なだけで山頭火だから感じて詠めた唯一無二の句です。

「分け入っても分け入っても青い山」
「うしろすがたのしぐれていくか」
「どうしようもない私が歩いてゐる」

などは有名な句です。

個人的に好きな句は例えばこの2句。

「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」
「あたたかい白い飯が在る」

うんうん、そうだよねぇ感が今の私に沁みる。

そうして1句、2句と句集をパラパラしているうちにやるせない気分がほんの少しずつやわらいでいくのでありました。

おしまいに

問題の根本的な解決には何一つなっていないよ~、であることは重々承知しております。
だけれど問題に対応するための精神力の回復がとても大切なことも事実。

明日からもがんばろう。

本日のお言葉

進んだ道が行き止まりだったら戻って違う道を歩くだけ

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