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「こちらあみ子」を読んでからあみ子が離れない……

こちらあみ子 本のこと

みなさま、ごきげんようでございます。

本日もこちらは冷た~い雨が降り続いています。
空気の中に雪の匂いがしてきたので雪へと変わるかもしれません。

あぁもう一日中ホカホカのお布団にくるまって本を読んでいたい……

さてこの年末年始にかけてまた本をごっそりとお迎えしました。
そして高くなる積読の山。

まぁそれはそれとして、その中の一冊「こちらあみ子」を
今日はみなさまへご紹介いたします。

とはいえ「こちらあみ子」の初版が発行されたのは2011年、
いまは2023年……干支ひとまわりしておりますわね。

いまさら感ありありですけれども文庫本好きには
こういうことが起こりやすいものでございます。

発行されたときから気になってはいたものの、
文庫になったら読もう→文庫化されたことに気がつかない
→あっ!文庫になっている→ずいぶんと遅れてからようやく読む……

なぜ文庫本が好きかのお話はまた別の機会にするとして
そんなこんなの末に今回ようやく「こちらあみ子」を読みました。

そして読み終わってからというものずっとあみ子が気にかかる病に
かかっています。

これからお読みになる方もいるでしょうからあらすじには
なるべく触れないように気をつけつつお話いたしますね。

「こちらあみ子」を読んでいる最中はザラザラヒリヒリします。
読後感はモヤ~ンとします。
そしてふとしたときに「あみ子は元気かな?」とまるで親戚のおばちゃん
のようなことを思ったりしています。

物語はあみ子という少女の小学生から15歳までが描かれています。
のどかな環境、やさしい家族や友人、そのなかでのびのびと育っているあみ子。

けれど読み進むうちにどうしようもない違和感が顔を出し始めます。
学校でも家庭でもやさしく見守られていると言えば聞こえはいいですが
いつでもどこでもあみ子は蚊帳の外なのです。

あみ子がどれほど(じぶんでは)いいことをしても
それはあみ子以外の人々や世間にとっては迷惑であり脅威であり理解不能です。

周囲の人々が理解しようとしてくれるうちはまだよくて
そのうちに理解しようという気持ちさえ持ってくれなくなります。

まるであみ子だけ透明な檻のなかにいるような、
いやもしかしたらあみ子だけが透明な檻の外で自由に生きているような。

どうしようもない孤独がそこには横たわっていて
でもじゃぁどうすればいいのだ、は見つかりません。

けれど当のあみ子が案外ケロリとしているものだから
読んでいるこちらはますます混乱を深めていくのです。

トランシーバー(いらすとや)

題名の「こちら」には切実なほどの「○○せよ」というあみ子の気持ちが隠されています。

でもたぶんそうやすやすとはあみ子が望む世界は訪れないだろうことも
わたしたちは知っていて……

だからこそ読み終わってからも「元気かな?」「安心できる居場所が見つかって
たのしく暮らしているといいな」などと思ってしまうのでした。

*なおあまりにも個性的なあみ子について病気や特性をあてはめての意見もありますが、
登場人物や作者が明言していない以上はそこをクローズアップせずに読まれたほうが自由に
小説を味わえると思います。

「こちらあみ子」を読んでからすっかり今村夏子さんにはまってしまい
いま出ているぶんの文庫本を全部揃えました。

半分ほど読み終わりましたが、そしてお話ごとにテーマは違うのですが、
いつも終わり方が読者に試されているというか託されているようで……
しばらく引きずってしまうのです。

いや~おもしろい。

いま次に読む本を探している方で今村夏子さんを未読な方は
いちど読んでみませんか?