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3年ぶりに咲く花

長岡花火 季節の行事のこと

みなさま、ごきげんようでございます。

今日から8月ですね。
もうすでに暑いけれどこれからが真夏です、うんざりです、グッタリです。

そしてついに明日明後日の2日間、3年ぶりとなるあの花々が夜空に咲きます。

わたしの故郷、新潟県長岡市の花火大会が戻ってまいります。

コロナの感染状況や医療に従事されている方々の日々のご苦労を思うと
正直に申せば複雑な思いではありますが。

でもね、おなじくらいうれしさ?
うれしさというよりもいつもの夏が戻ってきた安堵感を覚えます。

以前にも長岡花火について触れましたがこの花火は
たのしむ花火であると同時にだれかを悼む花火でもあります。

だれかとは愛する人や親しい人、そして顔も名前も知らない人。

長岡花火を愛してくれた大林宣彦監督の思いを後世に伝え続けたい
2020・4・10大林監督がお亡くなりになりました。おなじ日に監督が愛して下さった長岡花火の中止も決定しました。なんという巡り合わせなのでしょうか。大林監督と長岡花火との出会いやそこから生まれた映画を振り返りながら大林監督を悼みます。

↑この記事を書いたときはほんとうに戦争が起きるとは
これっぽっちも考えていませんでしたけれど。

長岡花火・三尺玉

*画像は写真AC「三尺玉」

花火と戦争、この両極端な文字の並びを見るとわたしは祖母を思い出します。

毎年我が家ではかならず花火大会に出かけていました。
土手に敷くシート、よく冷えた飲み物、枝豆やおにぎりやお重に詰め込まれたおかずを持って出かけたものです。

祖父母と同居していましたがなぜか祖母だけはいつもお留守番でした。

幼かった子どもの頃は単純に「おじいちゃんは花火が好き、
おばあちゃんは花火が嫌い」だとばかり。

でもある年、たぶんわたしが12歳くらいだったかな、なにかのきっかけで
祖母になぜ花火を見に行かないのか?とたずねたことがあります。

祖母の答えは「花火を嫌いってことはないのだけど三尺玉を上げるときの
サイレンの音を聞くと空襲を思い出すからイヤなの」と。

1945年8月1日、4歳の父の手を引いて爆弾が降り注ぐ中を必死で逃げ延びた祖母。
町中にサイレンの音(空襲警報)が鳴り響いていたそうです。
そして翌朝の変わり果てた街並みと充満していた臭いは忘れられないとも話してくれました。

*祖母のように空襲を思い出してしまうという年配の方への配慮から一時期サイレンを鳴らすのを止めていました。しかし戦争を知らない世代に戦争があったこと、戦火で亡くなられた方が大勢いたこと、を考えてもらう機会との考えからサイレンが復活しました。

もともと慰霊の意味を持つ花火大会である、と知ってはいましたが祖母の話を
聞いてからサイレンの音色のとらえ方が大きく変わりました。

それまでは「これから三尺玉が上がるぞのワクワクの音」だったものが
「こころの中で手を合わせるおごそかな祈りの音」へと変わりました。

あれから数十年。
さすがに祖母も祖父といっしょに空の上から花火見物をしていることでしょう。

しかしこのお話には後日談がございまして
父母に言わせると「空襲のこともあるだろうけれど、ほんとうは
おじいちゃんといっしょに出かけたくなかったんじゃない?」
「年に2日間だけひとりの夜をのんびり過ごしたかったんだよ」と。

わたしも祖母とおなじ専業主婦ですからその気持ちもわからないでも
ないけれど……真相は永遠の謎です。

あぁこうして書いている間にも花火の打ち上げ時間が近づいていると思うと
なにかソワソワと落ち着きません。

残念ながら会場での花火見物は叶わなかったけれど
テレビの中継で3年ぶりの夜空に咲く花々を見届けます。

そして今年もフェニックスと三尺玉で泣きます。

2日間ともにお天気がくずれませんように。

そして長岡花火の願いである「平和」が平和を奪われた人の元へ訪れますように。

本日のお言葉

長岡花火を見るときには汗用と涙用のタオル2枚持ちがお約束