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長岡花火を愛してくれた大林宣彦監督の思いを後世に伝え続けたい

モノクロの花一輪 季節の行事のこと

新型コロナウィルスが世界中で猛威をふるい続ける中、ひとつの訃報が届きました。

2020・4・10 映画監督の大林宣彦さんがご逝去。

同じ日に私のふるさと、長岡市では2020長岡大花火の中止が決まりました。

奇しくも同じ日に届いたふたつのニュース。

深い縁(えにし)を感じます。

長岡花火と大林宣彦監督

長岡花火と大林監督には浅からぬご縁があります。

まずは監督の訃報に接して出された長岡花火(長岡花火財団)のツイートをご覧下さい。

*こちらは「長岡花火」公式ウェブサイトです。

ツイートの中でも述べられている通り長岡花火大会では監督の映画「この空の花」の主題歌に合わせて花火が上がります。

それはそれはカラフルで勇壮でそしてどこか切ない花火です。

2019の花火がこちら。

今年はこの花火もそして毎年花火を楽しみにしていた大林監督もいない夏が来ます。

長岡花火と大林宣彦監督の出会い

長岡花火の始まりは昭和22年。
戦争からの復興と慰霊、平和祈願の願いを込めた「長岡復興祭」からです。

それ以来、昨年までの74年間度重なる災害などがあっても一度も途切れることなく続いてきました。

大林監督が初めて長岡花火を見たのは2009年。

最初はいわゆる夏のイベント花火と思われていたようです。

しかしながら花火を見終わる頃には自然と涙がこぼれ花火に込められた無数の願いに気づかれたとか。

*その時の監督の心情はこちら「長岡映画」製作委員会「大林宣彦氏からの手紙」に詳しく書かれています。

じつは長岡花火に出会うまで大林監督はあからさまに戦争をテーマにした映画は撮られていませんでした。

しかし長岡花火を見たことがきっかけとなり平和への願いを訴える映画を最後まで撮り続けられました。

映画「この空の花」の誕生

映画「この空の花」は戦争中の長岡市と現代の長岡市が交差する不思議な物語です。

そしてあらためて戦争の愚かさや残酷さをつきつけられる映画です。

映画に出てくる風景や方言や食べ物のすべてがわかるだけにその背景に眠っている歴史の重さに圧倒されました。

もちろん長岡市を知らない人にも、いえ世界中のすべての人に観て欲しい映画であることには間違いありません。

私はいままでに4回観ておりますがそのたびに鼻がツンツン目が涙でジャバジャバになります。

ところで長岡花火といえば放浪の画家で有名な山下清さんが残した言葉が有名です。

「みんなが爆弾なんかつくらないで
 きれいな花火ばかり作っていたら
 きっと戦争なんておこなかったんだな」

大林監督の思いもこの言葉の通りだったのでしょう。

そして映画では一貫してその思いが描かれています。

すべての爆弾を花火にすればこの世から戦争はなくなる。

いまの世界は爆弾ではありませんがウイルスとの戦争を繰り広げています。

来年の夏には空いっぱいの花火を見ることができる日々が訪れていますようにと切に願うばかりです。

おしまいに

2020長岡花火大会は中止となりましたが8月1日の慰霊花火「白菊」だけは例年通り打ち上げられます。

8月1日は戦争や災害や事故や病気や・・・多くの人が白菊の花火に亡くした人への思いを重ね合わせる日。

今年は大林監督も空の上から白菊花火を見て下さることでしょう。

地上では多くの人々が大林監督を悼むことでしょう。

長岡花火を愛して下さりありがとうございました。

本日のお言葉

黙とう