入園グッズって今も手作りが主流?
3連休の最終日ですね。
この時期になると子育て中のお母さんたちのブログに「入園・入学準備」という言葉が出てきて懐かしさを覚えます。なんて美しげに書いたけれど本当は幼稚園の入園準備、特に手作りグッズであたふたしていました。
幼稚園の入園後に使うバッグなどの袋もの作り。
もう15年以上昔のことなので記憶が定かではないけれど通園バッグ・絵本バッグ・上履き入れ・コップ入れ・エプロン・・・等々があったような。
幼稚園からのお手紙には非常に事細かなサイズ指定がありまして、ついでに言うと既製品についてはいいともダメとも書かれていなかったような。(最近の幼稚園では既製品でもいいというところも多いようですがいかがですか?)
だいたい幼稚園の説明会で「既製品でもいいですか?」という質問さえ出なかったし、そんな雰囲気でもなかったし。
内心では「わ~ぁどうしよう、もしかして裁縫ができないのはこの会場で私一人か?」「双子だから2セットずつ作らなきゃなんですけど」と思いきりパニックになっていたのでした。
当時の(今もだけれど)の私の裁縫力は
1、マチってどうやって作るの?
2、裏地ってどうやってつけるの?
3、ミシンの使い方全部忘れた
・・・お恥ずかしい。
小・中学校の家庭科で何を習ったのだ、私よ。
日本人は英語を学んでも話せないとよく言われるが家庭科も同じだ。←八つ当たり
しかも当時我が家にはミシンもなく、だからって手縫いならOKってほどの裁縫力ももちろんなく、知らん顔して既製品を使っちゃおうかなぁとも考えたもののちょうどいい既製品があるとも限らない、それにお母さんの手作りじゃないことに罪悪感もある、だからって今からミシン買って作れるほどの腕前になるのか?間に合うのか?とグダグダ悩んだ挙句に出した答えが・・・
外注(実の母)。
すみません。
いい年して&自分も母親になっておきながらやっぱり最後はお母さん頼みという安定の裏ワザ発動。
花嫁修業と洋裁
私の母と同じ世代のお母さんをお持ちの人ならご存知かもしれませんが、昭和30~40年代頃には「花嫁修業」という言葉が一般的であったようです。
お勤めをしながら、もしくは花嫁修業だけ、いずれにしても当時の女性はお料理・洋裁・和裁・お花・お茶などを習うのが普通だったとか。中でもお料理と洋裁はできて当たり前ぐらいの感覚だったようですよ。
私の母も洋裁を習っておりまして不出来な娘のおかげで孫の幼稚園グッズを作ることに相成りました・・・。
しかしあれですね、できる人にとっては袋ものを作るなんてのは基本中の基本なのでしょうか。至極あっさりと引き受けていただけました。
母よ、その節は本当にありがとうございました。
宅配便で運ばれる入園グッズ
ということで、幼稚園からもらった各グッズのサイズ表、布・紐・名札などの材料は宅配便で母のもとへ。
私がした作業は布選びと名札の名前書きと発送作業だけ。たったそれだけ。
後日、すばらしく可愛らしくて丈夫な入園グッズの数々が再び宅配便で届きました。
もちろん息子さんたちは大喜びでした。そして今はもうとっくにあきらめられましたが当時は「おばあちゃんにミシンを教えてもらえば?」とたびたび言われたものでした。
こうしておばあちゃん作の入園グッズは幼稚園の3年間だけではなく小学校の3年生ぐらいまで図書館の本を借りる時などに大活躍を続け、今は大事な物だけ入れる箱の中で眠っています。
ミシンを買う
こうして母のおかげでなんとか入園グッズは出来上がったものの、これから始まる幼稚園・小学校生活を考えると雑巾(は手縫いでもいいとして)、発表会の衣装作りとかなんだかんだミシンがいるのではないか?と思われたわけです。
そこで思いきって初心者向けの普通の基本的なことだけできればいいレベルのミシンを買いました。
買ったのですが・・・ボビンにどうやって糸を巻くのかさえ忘れておったわ。
しかもミシンを買ったからと言って今すぐになにか縫わなければいけないものもない→直線縫いを何回かお試しで縫う→ミシンを仕舞う→ミシンがあったことさえ忘れる→今に至る、と。
やっぱり~。ザ・無駄使い。
結局、雑巾や体操着の名札は手縫いで済んじゃったし、発表会の衣装も色だけ合わせてあるものを着るぐらいの出し物ばかりだったし、ミシンの出番はまったくゼロ。
ミシンをかける以前にミシンを出すことが億劫になっているようじゃいつまでたってもミシンの出番はなさそうです。
実はせめてランチョンマットやコースターぐらいは作ろうかと(直線縫いでできるものばかり・・・)あれこれと和柄の布やはぎれはすでに用意してあるのです。しかしながらミシン同様こちらも買ってあるだけ。いつになったら完成するのやら。老後のお楽しみか?
せめてミシンをクローゼットの奥から発掘しておこう・・・。
本日のお言葉
今からでも花嫁修業すべき