生涯最高の花の思い出
黄色いカバーをつけたランドセルが目につくこの季節。
遠目にはヒヨコがピヨピヨいいながら歩いているように見えますね。
そしてヒヨコたちを見送る100%親族であろうパパママさんやおじいちゃんおばあちゃんの姿も。
4月のこの時期ならではの風物詩です。
こころの中でそっと「ヒヨコも大人もがんばれ」と声援を送る通りすがりのおばちゃんであります。
そして強烈に思い出す自分の子供たちが新一年生だった頃のこと。
毎日無事に帰ってくるまで心配で落ち着かなかったものなぁ。
やんちゃで元気なタイプならまだしもおとなしくて引っ込み思案な双子だったのでなおさらでした。
そんな2人はよく学校帰りに花を持ち帰ってきてくれました。
道端に咲いていた花を摘んできたのではなくて道に捨てられていた(落ちていた)花、です。
それをしっかりと握りしめるものだからぐったりとした見るも哀れなお花たち・・・。
二人がいうには「そのままだとかわいそうだから拾ってきたよ」と。
だからあの当時我が家には野草の花が活けられたコップが家のあちらこちらにありましたっけ。
よく拾われてきたのは「ホトケノザ」でした。
その次が「クローバー」や「タンポポ」「綿毛になったタンポポ」だったかな。
ちなみにこの時のタンポポの種も庭に植えたけれどダメでした・・・。
いやぁしかし男性から贈られた花であの時ほど嬉しかった花は過去にもそして未来にもないであろう。
そもそも男性から花を贈られたことなんて我が人生に数えるほどしかないのでありますがね。
息子たちが母が喜ぶであろうことを思いながら大切にギュッと握りしめて持ち帰ってきた花ほど尊いものがありましょうか。
そして捨てられていた花を可哀そうだと思える気持ちのやさしさ。
親バカ全開&自画自賛ですけれど「こんなにいい子を産んでしまって偉いぞ、私」とか思ってました。
とまぁ私の中では輝ける人生の思い出の1ページ的な事柄なのですけれどもね、当の双子たちにこの話をしたところまったく覚えていなかった・・・というありがちなオチではあります。
野草の花々
さて世の中は桜前線真っ只中ですね。
もう葉桜の地方もあるかしら?
上を見上げて空の青さと桜のあでやかさまたは夜空の深さと桜のはかなさを見比べるのは大変によろしいのであります。
よろしいのではありますが足元で咲いている花々も大変可愛らしいですな。
以前にもブログの中で取り上げましたが園芸研究家の柳宗民さんはご自身の本のあとがきで次のようにおっしゃっています。
かつて生物学者でもあられた昭和天皇は、「雑草という植物はない」と云われたそうだ(中略)雑草という言葉は、差別的ではあるが、半面、庶民的な親近感がある。
柳宗民「柳宗民の雑草ノオト」あとがきより ちくま学芸文庫
そうですよなぁ。
雑草という植物はない、とはしみじみと名言です。
それでいて日本人は「雑草魂」という言葉も好きだったりしますけれどね。
目下のところ我が家の庭にはタネツケバナ、レンゲソウ、クローバー、カラスノエンドウ、などが花やつぼみをつけています。
柳宗民さんの本を読むようになってからというもの庭や道端の野草がより気になるようになりました。
そして正直にいうと草取りしづらくなったわ・・・。
だって名前やら由来を知ってしまうとどうしても情が移ると申しましょうか、いや増す「スマン感」と申しましょうか。
そしてそれを口実にはかどらなさそうな気配が濃厚です、庭の草取り。
おしまいに
ふと思ったのですけれどこの世の中に名前のないものってどれくらいあるのでしょうね?
未知の生物とか物質とか?
名前がない、のではなくて名前を知らないものなら無数にありますが。
最近では知っていたはずの名前が出てこない、名前どころか存在自体が己の記憶から消えている、なんてことがしょっちゅうあります・・・。
本日のお言葉
「カタバミ」に種がついてから抜こうとすると撃たれる・・・