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2021年3月11日

10年めの3月11日 日々の雑感など

人はかならずいつか死ぬ。
でもそれは今日ではない。

ほとんどの人はこころのどこかでそう思いながら
生きているのではないでしょうか。

でも10年前のあの日。

「かならず来る明日の保証なんてどこにもないんだ」と
思い知らされました。

大事な人が亡くなったり
長い年月を経ても行方がわからないままだったり
元通りの生活には戻れていなかったり
生活は戻ったけれど気持ちがあの日からすすんでいなかったり

もう10年だけれど、まだたった10年。

被災地に住んでいたわけでも
大事な人を亡くしたわけでもない私が
3月11日になにかを言うのは間違っているかな?

どうしてもそんな思いがよぎってしまいます。

しょせん他人事だからじゃないの?と、
もうひとりのわたしが問いかけてきます。

それでも今日の思いを書いておこう……と決めました。

10年前の東日本大震災。

新潟も大きな揺れに見舞われましたがそれほど被害はありませんでした。
それよりもTVに映し出される東北各地の惨状に言葉を失うと同時に
「もしかして夫氏は現地に行くのかな?」と案じていました。

夫氏は職業上、災害や事故が起こればそこに赴きます。
基本的には県内ですが規模が大きい災害などが起きれば現地へ。

結婚以来たびたび大きな災害や事故があったし
もともとおなじ職場にいたので常に覚悟ができていたとはいえ
このときばかりはなんとも心配で心配で。

黒い壁のような津波、
不気味に煙が上がり続ける原発、
おさまる気配のない大きな余震etc.

そして案じていた通りその日から2週間近く現地へと入りました。

当時、息子らは14歳。
頼りにならないような多少は頼りになるような年頃で。
毎日3人で夫氏の無事を確認しては安堵していた日々。

このときに強く思ったものです。
あぁわたしはなんて自分勝手な人間なのか、と。

被災された方々のことよりも夫氏の無事ばかり願っている。

それでいてこういう思いを抱いたからこそ
大事な人を突然失ってしまう恐怖をより強く感じたのです。

大きな災害や事故、事件などが起こると
「風化させてはいけない」という言葉がつきものです。

もちろん後世の人たちが生きていくために忘れてはいけない。

けれど時間が経ち記憶が風化することで救われることもあるのではないかな?

なかったことにはできないけれど
震災からの日々の中であたたかいものや優しいものが積み重なって
傷をすこしずつでも覆ってくれていないかな?

……あぁでもこんな風に考えるのはやはり他人事だからかもしれません。

それでもささやかながら募金したり、
被災されたけれど復活した企業さんのものを買ったり、
現地へ旅行したり、
応援することはできます。

今日2021年3月11日は10年めだけれど
20年めも30年めも……考えてできることをしよう。

そして最後に

黙とう。